海外に逃げられると思うのなら、どうぞお逃げください

どうやら、税率が高いとお金持ち(個人だけでなく法人も含めて)は海外に逃げると本気で思っている方が多いようです。金融日記の藤沢数希氏が「人や会社が日本を捨てて税金の安い国に出ていくのは真に愛国的な行動である」というエントリーで「人口が減ってマーケットが縮小し、圧倒的に高い法人税、懲罰的な高額所得者に対する所得税を科している日本からは遅かれ早かれ優秀な人材や会社は出ていくだろう。」と述べられています。しかし、海外に出ていくというのは容易なことではありません。
以前も同様のことをエイベックスの松浦社長が海外に逃げるとつぶやいた件で「エイベックスの松浦社長は所得税の累進性が強化されれば海外に行くらしい」というエントリーを書いたのですが、海外に逃げるというのは簡単じゃないのです。正直、いくら高税率でも税金をまじめに払った方が安上がり(もっと頭の良い人は租税回避をしますが・・・)ではないかと思えるくらいです。以下、企業や個人は本当に海外に逃げるのか、そして海外に逃げる方法を検討してみましょう。


まず、法人が海外に逃げるという意味を考えてみましょう。これにはおおざっぱに言うと二通りあります。外資が撤退するという場合と、日本企業が海外に移転するという場合です。
まず、外資が撤退する理由を検討すると、その理由は税率が高いというよりも、日本市場で儲からないからです。日本は(飲食店以外の)外資が儲からない国です。日本ではグーグルもヤフーに勝てませんし巨人ウォルマートですらなかなか儲けを出せません。日本で外資が儲からない理由はいろいろあるのですが本論ではないのでここでは省きます。
逆に、日本で儲かっている外資企業は、税金が高かろうが安かろうが絶対に撤退などしません。せっかく儲かっているのにそれをみすみすライバル企業に渡すくらいならいくら高かろうと税金を支払います。それに、多国籍企業なら租税回避スキームを使って利益を海外に移転します。
外資はいくら法人税が高くても日本からは絶対に逃げません。日本ほど安全で政治が安定していて外国人の権利を保護してくれる国は他にはありません。逃げるぞと口先で脅すだけです。騙されてはいけません。


問題はむしろ日本企業が逃げるか、ということです。近年、日本企業の工場が海外に移転するニュースが良く流れます。日産自動車の新型マーチがタイで組み立てられたものだというニュースに驚かれた方も多かったかもしれません。
しかし、日産が海外で生産するようになったのは、日本の法人税率が高いからではありません。大きな理由は4つあります。
ひとつめの理由は労働コストです。日本で作るよりもタイで作った方が労働コストが低いのです。
ふたつめは円高です。あまりにも円高が進んでいるため、海外で生産して輸入した方が利益が出るのです。
3つめは、日本から車を載せて東南アジアに行った船を空で戻すよりも現地で製造した車を乗せて戻った方が輸送効率が上がるのです。日本で生産している車の半数を海外生産にすれば理論的には輸送の無駄がなくなります。
最後に、一番大きな理由はASEAN諸国同士の貿易はFTAのおかげで関税が安いことです。ASEAN諸国とFTAを締結できていない日本で製造して輸出するよりもタイで生産した方が関税の面で圧倒的に有利なのです。
さらに言えば、海外生産はあくまでも安い車(利益の薄い車)に限られます。外国の工場に行ったことがあればすぐに気付くと思いますが、海外では日本のような超高度な製品の生産は絶対に不可能です。これはあと10年経とうが20年経とうが変わるものではありません。民族の気質(世界的に見ると日本人は異常に神経質なのです)の問題ですから教えてどうなるものではありません。
日本企業が逃げるのは法人税率とは全く関係ありませんし、労働集約的な部分は出ていくでしょうが、肝心な部分は必ず残ります。


では、法人は簡単に逃げることができるのでしょうか。まず、日本人の企業が日本での事業自体から撤退現することはほとんどあり得ません。
問題は利益を海外に移転するのかという点ですが、そんなに簡単ではありません。複数の国に本社機能がある多国籍企業であれば比較的容易ですが、それでも租税回避行為は大きな危険を孕んでいます。グループ内の取引を利用して税率の低い国に利益を集めればよいのでが、移転価格税制やタックスヘイブン税制によって否認される可能性を否定することができません。近年、そういった事例が否認され訴訟になるケースが急増しています。


個人が逃げるというのは、個人が海外に移住することですが、個人も逃げるのは容易ではありません。所得税は住所が日本になくても所得の源泉が日本にあれば課税されます。住所を移すことが可能であったとしても、所得の源泉を日本国外に移すというのは容易なことではないのです。
企業の役員であるとか弁護士、会計士などのプロフェッショナル、個人投資家、不動産所有者などは海外へ所得の源泉を移転することはほぼ不可能です。所得移転しようとしても目立つのですぐにばれます*1
実際に逃げることができるのは学者とスポーツ選手(それもごく一部の超一流の人)くらいでしょう。超一流の学者はどうせ日本では活躍できない(使いこなせない)ので、彼らが流出しても日本に損害はありません。スポーツ選手が流出しても彼らが外国人になるわけではなく日本に戻ってくるので外貨を稼ぎに行っただけで日本に損害はありません。
税率が高かろうがどうせ逃げることなどできないのですから日本政府がビクビクするような話ではありません。


つまり、所得税法人税ごときで海外に逃げる人や法人などほとんどいないし、出て行っても日本には何の損害もないのです。ただ、法人も個人も租税回避や脱税に必死になるでしょうから、租税回避や脱税できないような法制度を研究する必要はあります*2
そして、租税回避と脱税は紙一重で、税理士や弁護士に聞いてもほとんどの人は理解できていません。脱税にならないスキームを構築できるのは、税理士や弁護士の内のほんのごく一部の人だけです。さらにややこしいのは税金を安くしますと言ってくる税理士はたいてい偽物で、言うとおりにやると脱税で捕まります。


租税の素人が租税回避のプロを探すのは容易なことではありません。海外に逃げるなんて、簡単にはできません。失敗したら大損、下手をすれば犯罪者になってしまうのです。それほどの覚悟で海外に逃げる人がどれほどいるでしょうか。

*1:相続税の事例ではありますが、武富士会長の長男の事件が参考になります。

*2:国税庁はそれを面倒だと考えているような節があります。そこが問題の本質なんじゃないかと思いますね。国税庁は租税回避をどんどん摘発すればいいのです。訴訟をたくさん残せば次第にルールが整備されます。それを怠って法人税率を引き下げるというのは闘わずに逃げる行為に等しい行為です。