千葉法務大臣が死刑を執行したことの意味

驚きました。千葉法務大臣が本日、二名の死刑を執行しました。千葉法務大臣といえば、筋金入りの死刑廃止論者でしたから、まさか任期中に死刑執行があるとは思っていませんでした。そんな千葉法務大臣が死刑執行をしたのには、単に立場の違いとか法律の執行というだけでは説明がつかないでしょう。


千葉法務大臣は、死刑を執行するに際して、複数の人(それも全くの他人)を殺害した事件であって、冤罪の可能性がない事件を選んでいます。自ら記録を精査したとのことですから、非常に慎重に選んだのでしょう。この点では、冤罪の可能性が指摘されていた久間三千年氏の死刑執行を命令した森英介法務大臣とは大きく違います。


千葉法務大臣は死刑執行後の会見で「死刑制度に関する議論」を起こしたいと述べられました。これが千葉法務大臣の真の狙いなのでしょう。もっと言うと、死刑に関する議論を起こし、それを自らがリードしたいということではないかと思います。
千葉法務大臣は死刑執行を命令しそれを目撃した唯一の政治家ということになりました。死刑に関する議論をする際には、必ず千葉氏のコメントが最初に取り上げられることでしょう。千葉氏は死刑を執行せずに任期を終えて死刑に関する議論が盛り上がらないよりは、自らが死刑執行を行うことで死刑議論をリードしたいと考えたのではないでしょうか。


これまでの死刑に関する議論では遺族感情ばかりが取り上げられていましたが、死刑を執行する側の意見(実際に執行する刑務官や検察官、死刑に立ち会う医師、宗教家の意見)はほとんど取り上げられてきませんでした。刑務官や検察官、医師などの公務員や宗教家は守秘義務が課せられているので死刑に関する意見を公にすることができませんでした。しかし、今後、千葉大臣は政治家という立場で自らの経験を語ることができます。死刑を命令し目撃した唯一の法務大臣として書籍を出版することもあるのではないかと思います。国民は、今までの議論にはなかった反対当事者の意見を知ることができるようになります。


ただ私は、千葉大臣がこのようなことをしなくても、死刑廃止の議論が盛り上がるのは時間の問題でしかなかったと思っています。


実は、裁判員裁判で死刑を言い渡された事件はまだありません。そのため、死刑を言い渡した民間人というのはまだいません。この国の民間人は死刑を言い渡す苦悩を未だ経験していません。職業裁判官の何人かは死刑を言い渡す苦しみを語っていますが、議論が広がりません。裁判官は自ら望んで裁判官になった一握りのエリートですし、その職務として死刑を言い渡しているため、裁判官が精神的に苦悩しても一般人にとっては他人事でしかなかったのです。
しかし、今後、裁判員裁判で死刑を言い渡す事件が起きるかもしれません。その際、くじで選ばれた裁判員という名の一般人に死刑を言い渡す負担が課せられますが、多くの人はその苦悩に耐えきれないでしょう。また、その場で言い渡すことができたとしても一生そのことを忘れることができずに心の負担を感じることになるでしょう。
そうなれば死刑に関する議論は他人の問題ではなく自分の問題になりますので、この国でももうすぐ死刑に関する議論が一気に盛り上がると思います。


千葉大臣はどの程度まで考えて死刑を執行したのか、私には知る由もありません。しかし、よほど熟慮を重ねた上で覚悟を決めたのでしょうから、死刑執行をすべきではなかったと批判する気持ちにはなれません。ただ、死刑に反対しながら死刑を選択したのですから、その経験を隠すのではなく今後の死刑反対運動に活かして頂きたいと思います。


最後に、人間が人間を裁く以上、冤罪の可能性は絶対にゼロになりません。そのため、私は死刑を廃止して仮釈放なしの終身刑を導入すべきだと考えています。