記者会見の開放は歴史の必然である

日本では、国や地方公共団体の記者会見に参加するにはそれぞれの記者クラブに加盟しなければいけません。この「記者クラブ」は、いわゆる任意団体で、大手マスコミを中心に構成されており、記者会見を仕切っています。記者クラブに入りたい場合は、記者クラブに申し込みをするのですが、フリーのジャーナリストにはいろいろ難癖をつけて加盟を認めません。ある程度の規模がある企業が加盟を希望する場合も、認められることはほとんどありません。記者クラブに加入しなければ一次情報に接することができません。記者クラブは極めて前時代的なギルド制度です。


この記者クラブ制度は、世論をコントロールしたい政府と、楽をして自分たちの地位を維持したいメディア側の思惑が一致して出来上がった悪癖です。
元をたどると明治時代の帝国議会開設の頃に至ります。政府は、新聞紙条例や戦中の治安維持法などを制定し、国家がマスメディアをコントロールし続け、記者クラブはメディア側をまとめる役割を担い続けました。記者クラブは、もともと政府の関与のもとに作られた権力側に都合の良い制度だったということをまず指摘しておきます。
戦後、GHQの関与により、突然、言論が自由になりましたが、記者クラブはなくなりませんでした。GHQの解散命令にもかかわらず、記者クラブは存続し続けました。これは、数を制限することで既得権益を守ることにメリットがあったメディア側から要求したからです。メディアは記者会見の開放に対して極めて保守的であったといえます。政府にとっても記者クラブが存在すれば情報をコントロールしやすいため、記者クラブの存続を黙認しました。
そして、今日に至るまで、記者クラブは大手メディアの既得権益を守り続け、それを政府や自治体は黙認し続けています。


記者クラブ制度は、現代のギルド制度であって、国民の知る権利を阻害している悪癖です。記者会見において、政治家とそれを取り巻く大手メディアの間で不公正な談合が行われていると言っても良いでしょう。
記者クラブの存在は、メディアの不正の温床にもなっています。これまで政府は記者クラブに加盟しているメディアの数が限られていることをいいことに、機密費を使って世論を操作していました。機密費は、今でも同じ程度支出が続いていますので、今も記者クラブに加盟する大手メディアに対してお金を提供し続けているのでしょう。
記者クラブの中身(特に政治部の記者クラブ)は非常にドロドロしていて腐敗臭が漂っているのです。


記者会見には基本的に誰でも参加できるようにすべきです。フリーだから記者会見に参加できないというのは、あまりにもおかしな話です。たとえば、田原総一郎はフリーですがまともなジャーナリストです。新聞記者などよりも鋭い質問をする能力を持っていますし、大手メディアの使えない記者よりもずっとジャーナリズムを理解しています。そういった人が記者会見に参加できないのは、あまりにもおかしな話、理不尽な話なのです。


記者クラブ側は、おかしな人が入ってくるのを防止しなければならないと反論しますが、おかしな人かどうかは国や地方公共団体が判断すればいいことです。政府や都道府県は警察組織を有しているのですから、おかしな人かどうかを判断する能力はあります。記者クラブよりもずっと適切な判断ができるでしょう。大手メディアの記者にもおかしな人もいますので一部は拒否されるかもしれませんが・・・。
行政が記者会見への参加を拒否すれば、拒否された者は行政訴訟で争うことができます。記者クラブへの参加を拒まれても、任意団体への加盟を拒否されただけですので司法の場で直接国と争うことができません*1
手続的適性という観点から考えても、国や都道府県などが記者会見への参加の可否を決定すべきなのです。


もうひとつ、記者クラブ制度は、記者会見の質を低下させています。記者会見に参加するメディアが限られているのでほとんど競争がないからです。
記者会見の映像を見るとわかりますが、参加しているのは若い記者ばかりです。一国の大臣に質問しているのは30才そこそこの人間ばかりです。政治は連続性の中で行われていて、長いキャリアがなければ理解できないことも多々あります。それにもかかわらず、5年程度のキャリアしかない人間だけが質問しているのです。経験の浅い記者ばかりなので質問の内容が近眼的で稚拙なものになるのです。
大手メディアにも20年以上のキャリアを持つ人がたくさんいるにもかかわらず、記者会見には出てきません。記者会見などたいした情報が出てこないから若い者に適当な質問をさせておけばよいとなめているのです。
大手メディアは、一方ではフリージャーナリストの記者会見への参加を制限しておきながら、他方では記者会見を軽視しています。記者クラブが記者会見を形骸化させているのです。


大手メディアは記者クラブを軽視しているにもかかわらず、それでも記者会見を開放しようとしません。鳩山政権が記者クラブの開放をしようとしたとき、記者クラブ側はかなり強く抵抗しました。結果として一部だけ開放されたのですが、その後、メディアスクラムを組んで鳩山政権のネガティブキャンペーンを張りました。やっていることはジャーナリズムではなくほとんどヤクザの恫喝です。非常に汚いやり方です。


これまで、メディアは大手マスメディアに寡占された状態だったので、だれも表立って記者クラブの問題を指摘しませんでした。たまに雑誌に批判的な記事が書かれても、その記事を書いた記者を力でねじ伏せ、闇に葬ることができました。まるでヤクザのような手法がとられ、記者クラブは維持されてきました。
しかし、インターネットは素人国民のメディアです。しがらみなく批判を書くことができますし、素人国民ですのでつぶされる心配もありません。記者クラブを自由にいくらでも批判できる時代になりました。


国民は馬鹿ではありません。既に真実を見抜いています。偉そうなことばかり言っているマスメディアが裏では極めて不公正な談合を続けていることを理解しています。メディアの報道を疑っています。記者クラブ制度を維持し続けることは国民が許しません。記者会見開放を拒否するなら、国民は既存マスメディアから離れていくだけです。


表現の自由は、本質的に制限されることを嫌います。できる限り「自由」でなければなりません。表現の「自由」を制限しようとすることはメディアにとって自殺行為です。
記者会見の解放はもはや歴史の必然です。この流れにはだれも逆らうことはできません。政府も、記者クラブ加盟のメディアも、国民の信頼を失う前に、直ちに記者会見の開放に踏み切らねばなりません。

*1:記者クラブを訴えるという方法も検討していいと思います。国や自治体から便宜供与を受けているので、憲法を守る義務がある(国家同視説)という構成は、それなりの説得力を持つと思います。ただ、本来、国に記者会見を要求するという立場なのに、同じ立場の記者の親睦団体を訴えるというのは場外乱闘の感がぬぐえません。もうひとつ、記者クラブに便宜供与をしている国や地方自治体を訴えることも考えられます。行政が記者クラブだけに便宜を供与しているのは憲法14条違反でしょう。自治体なら違法な公金の支出として住民訴訟が可能でしょう。国の場合は、住民訴訟ができないので、別の手を考えなければなりません。その辺りの法的構成をもう少し掘り下げて研究すると面白いかもしれないと考えています。そのうち記事に書くかもしれません。